王冠王冠

電話をしてから三十分後、部屋にはなんとも食欲を誘う香りが充満していた。
「うわ、ウマソー。レイラもガンガン食うんだよ。どうせ、その分じゃ、お昼食べてないんでしょ。」
切り分けた一枚を受け取りつつ、レイラはリクに話しかけた。
「あのね、リク。私、もう一度、書こうと思ってるの。」
レイラがそう言うと、リクは頬張っていたピザを炭酸飲料で流し込んで、驚いたように聞き返した。
「書くって、もしかして、、、、、」
そう聞く彼に肯定の意味で頷いてみせる。
しばらく、お互い無言のままだった。その沈黙が重苦しくなるのに比例して、視線が下に落ちていくのを自覚する。
喜んでくれる。何となく、そうなることを予想していたのに、それは自分一人の思い込みだったのかもしれない。
レイラには書くことが命に代えてでも大切なことだ。だが、それは他人も同じでないことぐらいは彼女にだって解っている。
でも、リクにだけは同じように喜んで欲しかった。言わなければ良かった、そう思った。
そうすれば、少なくとも今だけは楽しく過ごせた筈なのに。幸せを望まなかった頃は、
こんな些細なことを大切だなんて思わなかった。やはり自分はどこか変わったのだろうか。
「レイラ、どうしたの?」
呼びかけられて顔をあげると、そこには心配そうにこちらを見つめるリクの顔があった。
「別に。」
自分でも持て余し気味なこんな感情を説明するわけにもいかずそう返すと、リクは更に心配そうに顔を見つめてきた。
「ごめん。別に書くのが反対ってわけじゃないんだ。ただ、その、前の状態を知っているから、心配なんだ。
どうしても、書きたいの?」
少し考えて、答える。
「前は、つまり、書けなかった時も含めてだけれど、あの頃は書かなくちゃいけなかった。
作品が私を求めて、書けって命令していた。勿論、私にはそれしかないから、書くことが私の義務だとは思っていたけれど。
でも、今回は根本的に違う。私が書きたいから書く。誰からも命令されていないから、止めようと思えば止めることも可能。」
上手く説明できただろうか。時々、リクは話している会話がわからないという表情をする。
彼は優しいからそんなことは言わないけれど。でも、言われない事が余計に悲しかった。
まるで、自分だけ世界に取り残された気がして、無性に泣きたくなる。
わからない。わかろうとしない。それらは結果としては同じだけれど、中身が全く違う。
でも、それを上手く伝えることがレイラにはできなかった。わからないまま納得してしまったそんな表情。
そんなリクの顔を見る度にいつも喉に小骨が刺さったようなもどかしさを抱えながら続けようとした言葉を飲み込む。
だから、レイラはリクの答えを待ちながら密かに祈っていた。どうか、今回は彼が彼女の言葉を理解することを
諦めてしまわないように、と。どのぐらい、時間が経ったのだろう。きっと、そんなには経っていないはずだ。
だが、緊張しているからか、彼女には果てしない時間に感じられた。
「別に反対じゃない。というより、書きたい事があるなら、書けばいい。俺だって、同じだし。
前はレイラと違う理由だけど、どっかで歌うのが自分の義務だと思ってた。けどさ、今は俺が歌いたいから歌ってる。
勿論、背負うもんもあるけど、でも、初めて歌ってて歌えることに感謝したんだ。
あー、なんかあの瞬間わかったんだよね、歌う意味が。」
ピザを頬張りながら、そう話すリクの顔は清々しい笑顔だった。レイラは、その笑顔に気が付くと握りしめていた拳を
そっとほどいた。彼女にとっては、書くことを許してくれたことよりも、自分の言い分を理解してくれたことの方が
数倍も嬉しかった。 だから、忘れていた。
昔も同じように、許してもらったことを。

前ページへ 第三部へ
Copyright(C)Kaoru Ichinose